アルゴリズムの「外」へ。米国で再燃するZINEは、何を取り戻すのか
アルゴリズムが分断を加速させるデジタル時代に、米国でZINEが再び注目を集めていると、英ガーディアンが報じています。書き、綴じ、手渡すという遅く身体的な行為を通じて、対話と信頼を取り戻し、企業依存のSNSとは異なる「公共のかたち」を模索する動きが広がっているのです。|by Erika Tomiyama
デジタル全盛の時代に、いま米国で、ある“逆行”ともいえる動きが再燃しています。それは、自分たちの手でつくり、綴じ、手渡す小冊子「ZINE(ジン)」の再評価です。
もともとZINEは、1970年代のフェミニズム運動やパンクカルチャーのなかで育まれたメディアでした。主流メディアに載らない切実な声を、自分たちの手で印刷し、ホチキスで綴じ、直接届ける。その行為は、大きな権力や資本に依存せず、「誰もが対等に語り合える場所」を街の片隅につくる実践でもありました。
ではなぜ今、再びZINEなのでしょうか。
背景にあるのは、アルゴリズムによって加速する分断や、民主主義のゆらぎに対する直感的な危機感ではないでしょうか。現在のデジタルプラットフォームは、滞在時間を伸ばすことを前提に設計されています。そのため、より刺激的で、感情を強く揺さぶる投稿が優先されやすい構造になっています。しかし、情報の速さは必ずしも理解や対話を深めません。私たちは、理解する前に「反応」してはいないでしょうか。
その点、ZINEはまったく逆の時間軸にあります。書き、印刷し、製本し、届けるまでに、驚くほど手間がかかります。一見すると非効率ですが、この「遅さ」こそが言葉に誠実さを宿らせます。拡散を前提にしない文章、ページをめくる身体的なリズム。それは、情報を一方的に消費する状態から、思考を深めるために滞在する場所へと私たちを連れ戻します。
そしてこの「遅さ」への回帰は、単なる理念ではなく、具体的な実践として広がり始めています。
米国のニュースメディア「404 Media」もまた、あえてZINEを制作することを発表しました。大手メディアを離れた記者たちが立ち上げた同メディアは、デジタル発の報道機関。それでも彼らは、ウェブメディアを残しつつ「紙で残るもの」を選びました。常に更新され、仕様変更ひとつで埋もれてしまうデジタル記事とは異なり、ZINEは物理的に存在し続けます。アルゴリズムに左右されず、スクリーンの外で読まれ、誰かの手元に残るメディアです。
さらに、この動きは草の根のコミュニティにも広がっています。ロサンゼルス中央公共図書館で行われたZINEづくりの集まりには、100人近い人々が文房具を手に集まりました。カリフォルニア州の「Long Beach Zine Fest」や、フィラデルフィアの印刷拠点「The Soapbox Community Print Shop」では、住宅権利の主張や気候正義を訴えるアクティビストたちが、Instagramでの拡散ではなく、あえてZINEを手渡す方法を選んでいるといいます。
SNSの投稿は、見知らぬ誰かのタイムラインに流れ込み、そのまま消えていきます。そこでは発信者の顔や、読者の体温が見えにくくなります。一方、ZINEは生身の人間の手を介して動くもの。共に手を動かし、何かをつくるという身体的なプロセスは、ニュース疲れや政治的分断が深刻化するなかで、バラバラになった個人を再び「市民」へとつなぎ直す時間にもなっています。壇上でスピーチをする勇気がなくても、1冊を誰かに手渡すことはできる。それは、もっとも民主的な社会参加の形なのかもしれません。
さらに、ZINEはメディアの「所有」にも問いを投げかけます。私たちが日々利用するプラットフォームは企業の持ち物であり、規約やアルゴリズムの変更によって、人々が築き上げてきた「人とのつながり」が容易に断たれる可能性を孕んでいます。しかし、ZINEの場合は違います。制作も配布も個人の手の中にあり、それは公園や図書館のような公共の概念を、紙の上で再現するような試みにも見えます。中央集権的なプラットフォームへの依存を減らし、ローカルな信頼を基盤にした、レジリエントなつながりを築こうとする実践でもあるのです。
デジタル空間は物事を白か黒かに分けがち。しかし現実の社会課題は、もっと複雑で、割り切れないグラデーションの中にあります。手書きの文字や拙いイラスト、コラージュされた写真。ZINEには作り手の迷いや未完成さまでもが包み込まれます。その不完全さこそが、「あなたはどう思いますか」という優しい余白を生み出します。
効率を追い求め、瞬時に正解を求められる時代において、ZINEを読むこと、つくること。それはあえて効率の悪さを味わい、他者の痛みを想像するための時間を取り戻す行為なのかもしれません。
もし、誰にも評価されないとしたら。あなたは今日、どんな言葉を紙に書き記すでしょうか。
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