インフレと気候変動は「共通危機」。米国・労働階級の気候戦略アジェンダが示すもの
生活苦も異常気象も、日常を脅かす共通のリスクである──米シンクタンクが2026年4月に公開した「労働階級のための気候戦略」は、分断を乗り越えて生存戦略としての変化を生み出すことができるのでしょうか。|Natsuki
新特集に向けて|読者の皆さんの「働くモヤモヤ」を聴かせてください
最近、「働くこと」や「会社・組織のあり方」について、モヤモヤしたことはありますか? たとえば、意思決定のされ方、利益の分配、評価や給与の仕組み、働く人の扱われ方などについて、日々の仕事やニュースを通じて感じたことがあれば、自由にお聞かせください。
いただいた回答の一部は、今後のニュースレターなどで匿名にてご紹介させていただく場合があります。
▶️ アンケートフォームはこちらから
「なぜ、こんなに多くの人が課題を“知っている”のに解決は進まないのか」
「なぜ、汗水流して働いても生活苦に悩む人がいる一方で、富を蓄積し続ける人が同時に存在するのか」
インフレや気候変動の深刻さを認識していながら、具体的な行動や変化を起こすことの難しさに、もどかしさを感じたことはないでしょうか。システムが大きすぎるあまり、個人の努力だけではどうにもならないという無力感が社会に漂っています。
しかし今、アメリカでは「共通の危機」に対する意識の高まりを通じて、政治的立場の違いを超えて社会に変化を起こそうとする動きが生まれつつあります。
生活苦と気候変動を同時に解決する新アジェンダ
2026年4月、米国のシンクタンク「Climate and Community Institute(CCI)」は、気候変動と生活費高騰の危機を同時に解決するための労働者階級の気候戦略として「Stop Greed, Build Green(欲を止めグリーンを築く)」を公開しました。
これは、労働者の暮らしを直接的に改善するための政策提言です。電気、ガス、家賃、食費などの生活コストが高騰し、異常気象が暮らしを脅かす一方で、富裕層はAIなどを使って、さらに富を蓄積していくという不均衡を批判しています。
この提言が掲げるビジョンの大枠は、次の3つです。
気候変動政策の実装
生活コストの低減と雇用の創出
労働者階級が主導する移行
さらに具体的には、交通、住宅、エネルギー、公共財の各分野にわたるアクションプランが提示されています。
こうした積極的な介入を求める動きは、単なる提言にとどまりません。実際の政治の現場でも変化が起きています。
2026年1月にニューヨーク市長に就任したゾーラン・マムダニ氏は、公共交通の無料化や脱炭素化された公共住宅の実現を公約に掲げて当選。就任100日の演説では、生活費対策として市営食料品店を開設する計画を発表しました。
同じくシアトル市長に就任したケイティ・ウィルソン氏も、同様の公約を掲げて当選しました。生活費への不安と気候変動の危機を切り離さず、どちらも「暮らしを脅かす地続きの課題」と捉える姿勢が、有権者の共感を呼んでいるのです。
イデオロギーを超えた連帯は可能か
こうした流れに、どんな印象を抱くでしょうか。トップダウンの動きや市場への積極的介入に対し、着実な変化への希望を感じる人もいれば、その強い権限に不安を覚える人もいるでしょう。
東京大学の斎藤幸平氏は、米国で起きているこうした傾向を「左派ポピュリズム」と呼び、機能不全に陥った資本主義への不満の現れであると分析しています。
同氏は著書『人新世の「黙示録」』においても、気候変動という共通の危機下では、市場の自由を制限し、真に必要な物資やサービスを優先して資源を供給する計画経済の視点が必要であると提示しています。
ただし、これらの動きは「左派 vs 右派」や「資本主義 vs 社会主義」といった従来の二元論的なイデオロギーだけで捉えられるものではありません。実態は、異常気象とインフレという二重の生存危機に直面する中で、人々が思想の違いを超えて「共通の生存基盤を守る」という実利的な目的のために結集し始めているとも理解できます。
ここで注目すべきは、かつての産業社会における「被雇用者」という狭い意味での労働者像が変化しつつあること。今浮上しているのは、エネルギーや住宅、食料といった生活に不可欠な公共財(コモンズ)を守り、持続可能な形で再構築しようとする「生活者としての労働者」の連帯です。個の努力に限界を感じるからこそ、共通の利害を持つ階級として結びつき、社会的な発言力を強める動きが強くなっているのかもしれません。
「見かけ上の平和」の先にある選択
この流れは、決して他人事ではありません。世界では地政学的な緊迫からエネルギー供給が不安視され、フランスでの燃料品切れや、韓国での交通規制が報じられています。しかし、現在の日本では、そうした日常的な制約を生活の中で感じる機会はまだ比較的少ないと言えます。毎年訪れる記録的な猛暑さえも、私たちは「新たな日常」として、いつの間にか受け入れつつあります。
不足すると言われたガソリンはこれまで通り給油でき、肥料不足が指摘されてもスーパーには食材が並び、ニュースが伝える「危険な暑さ」も個人の熱中症対策の呼びかけとして聞き流してしまう……。現在の日本社会は、そうした「見かけ上の平和」に甘んじている状態なのかもしれません。
しかし、私たちが「消費者」として市場に選択を委ね、個々に孤立している限り、社会構造の歪みにアプローチすることは困難でしょう。
これに対して、米国で起きている変化が私たちに示唆しているのは、生存の危機に対して私たちは「ただ影響を受け流すだけの受動的な存在」から、「生存基盤を能動的に守ろうとする主体」へと自らを再定義できるという事実です。
米国の動きをそのまま真似ることは、必ずしも正解ではありません。しかし、グローバルな危機の波が浸透しつつある今、社会システムを形作る一員として、私たちは自らの選択が持ちうる影響や、身の回りに必要な連帯のあり方について、対話を始める時期に来ているのではないでしょうか。
関連記事
サステナブルな暮らしはステータスか、責任か。現代版ノブレス・オブリージュと“実験する余白”
特権とは「実験する余白」のこと?オーガニックな食事やEVが、新たなステータスシンボルになりつつある現代。サステナビリティは単なる「趣味」なのでしょうか。社会学者ウルリッヒ・ベックの「リスク社会」論を補助線に、現代におけるノブレス・オブリージュ(高貴なる義務)を再定義します。
気候危機時代に“主権”を取り戻すための考え方「適応とサフィシエンシー」とは?
命を守り、依存を断つ。気候危機から「主権」を取り戻すための適応とサフィシエンシーとは? パリで開催された「ChangeNOW 2026」を取材して強く感じたのは、サステナビリティの議論が「環境への配慮」を超え、より切実な「生存戦略」へとシフトしている事実です。欧州の最前線で示された、私たちが地球の限界内で「十分」に、かつ安全に生きるための最適解をレポートします。
PODCAST
ポッドキャスト
「正しさ」という武器を、一度置いてみる。多様性を認めない人をどう包摂するか NEW!
多様性という言葉が、いつの間にか「特定の正解に合意できる人だけのコミュニティ」に?自分とは全く異なる価値観の人と、私たちはどう共生していけるのでしょうか。リベラルな価値観が陥る「支配」の構造や、アメリカの草の根活動に学ぶ、相手を変えようとしない対話のあり方、そして2026年の日本社会に広がる多次元的な分断について語り合います。
AIは「完璧な恋人」になってはいけない?中国が打ち出したAI擬人化規制を考える
もしAIが、亡くなった家族や理想の恋人のように振る舞い、あなたの心を癒やしてくれたら?2026年4月、中国が世界に先駆けて発表した「擬人化AI規制」。AIが「人間のように振る舞うこと」そのものを制限するこの法律は、単なる技術規制ではなく、私たちの「心」を守るための防壁かもしれません。AIに依存してしまう私たちの「脆さ」と、これからの人間関係のあり方について考えます。
共働きに疲れた女性たちが、専業主婦という「特権」に憧れる理由。トラッドワイフ現象を読み解く
SNSでよく見かける、完璧に整えられたキッチンで手作りの食事を作り、夫を立てる「トラッドワイフ(伝統的な妻)」たち。一見すると、憧れの「丁寧な暮らし」の極みのように見えますが、なぜ今、世界中でこのトレンドが再燃しているのでしょうか?





