デジタル化で、呼吸が浅くなる?東京・阿佐ヶ谷の「呼吸のための場所」を訪れたら
現代社会のデジタル過多により、無意識に呼吸が浅くなる「スクリーン無呼吸症候群」。消費と生産が止まらない都市で自分のリズムを取り戻すには、あえて「引き算」をする余白が必要です。都会に生まれた“呼吸のための場所”での体験から、社会のスピードに抗い人間らしさを取り戻す「ひと呼吸」の大切さを考えます。|by Tomoko
朝目が覚めたとき、お昼休み、夜寝る前、電車での移動中……私たちは暇があると、ふとスマートフォンを手に取り、アプリの画面を開いてしまいます。そして一度開くと、いつのまにか時間が流れていたことに気付き、ハッとさせられます。仕事でもパソコンを眺める時間が長く、人と向き合う時間以上にデジタルとともに過ごす時間が多くなっている。一日の終わりにはどっと疲労感を覚え、目や肩に重い痛みを感じる。そんな日々を過ごしてはいないでしょうか。
実は、パソコンやスマホの画面を集中して見ているあいだ、私たちは無意識に呼吸が浅くなったり、止まったりしていることがあります。この現象は「スクリーン無呼吸症候群」と呼ばれています。脳が情報処理に全力を使おうとすることで自律神経のバランスが崩れ、気づかないうちに体の中は酸欠状態になってしまうのです。ひどい肩こりや頭痛、慢性的なだるさは、ここからきていることもあるそうです。
これは、単なる「スマホの使いすぎ」という個人の健康問題だけではなく、現代の社会システムとも深く結びついています。現代社会は、私たちの「関心」を奪い合うことで成り立っているからです。次々と現れる刺激的な情報に目を奪われているとき、私たちは画面の向こうの社会と同期しようとするあまり、無意識に自分の生命のリズムである「呼吸」を代償として差し出し、消費されているのだと感じます。
そんな息苦しい時間から逃れるように、先日筆者は、東京・阿佐ヶ谷の住宅地のなかに佇む空間を訪れました。それが、深呼吸できる居場所「suha」です。
時間制で滞在できるカフェ・フリースペースであり、作業場として、読書する場として、あるいはゆっくりくつろげる場として、思い思いの時間を過ごすことができます。床も壁もランプシェードも、自然素材でつくられた室内で、植物だけでなく、看板犬も猫も一緒になって床に寝転がり、のんびり。
文字通り「スーハー」と思い切り息を吐いて吸えるような心地よさが漂う空間です。
そうした光景を見ながらも、「パソコン持ってきたし作業しようかな」「何か意味のある本を読まなければ」「仕事のアイデアを考えなければ」と、効率主義な自分が顔を出しました。しかし、張り詰めた頭を緩め、犬たちと同じように庭に寝転がってみると、不思議と「ここでは、ただ息をしているだけでいいんだ」と許されたような気持ちになりました。頭のフル回転が止まり、体の中にじわりと新鮮な空気が満ちていく感覚がありました。
筆者は普段、田舎と都会の二拠点生活をしています。都会は刺激的でその良さがありますが、ときに「思い切り息を吸えない」という感覚に陥ることがあります。これはどちらが良い悪いという話ではありません。ただ、自然のそばにいると、そこには人間の都合とは関係のない「何もしない余白」が、最初からシステムとして用意されていると感じるのです。
たとえば農業には、土壌の体力を回復させるためにあえて何も植えない「休耕田」があります。また、筆者が暮らす地域では、雨が降れば畑作業は休みになり、朝の市場も閉まります。農的な暮らしのリズムには、自然と人間を休ませる知恵が組み込まれているのです。
一方で、消費と生産という行為が1分1秒も止まることなく回り続ける都市では、意識しなければ余白を手に入れることができません。自らの意思で「引き算」をしていこうとしなければ、常に頭も身体も動き続け、いつのまにか社会のスピードに巻き込まれていってしまいます。そうやって誰かがつくった社会のリズムにはまっていくうちに、私たちは人間らしい生命のリズムを失ってしまうのです。
suhaで過ごした1時間半のなかで、筆者は現代の都市にこそ「ちゃんと呼吸できる場所」が必要なのではないか、と感じました。かつての村の広場や井戸端のように、何かを消費したり意味のあることをしたりしなくても、ただそこに存在して、深く息を吸うことが許される場所。そんな空間が、これからの都会を生きる私たちにとって、心身を守るための不可欠なインフラになりうるはずです。
忙しい日々の中で「生き方を引き算する」ことは簡単ではありません。それでも、24時間の中で、気づいた時にほんの数秒間、画面から目を離し、一度深く息を吐き出してみる。このひと呼吸はきっと、加速し続ける社会のなかで、自分自身の生命のリズムを取り戻すための小さな抵抗になります。
社会の軸に合わせるのではなく、自分のリズムで生きていくために。まずは、スマホを少し遠くに置いて、「スーハー」と息を吐いて、吸い込んでみてはどうでしょうか。
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