AIの話に疲れてきたのは、未来がAIだけで語られすぎているからかもしれない
AIは、私たちの未来を語るための唯一の言葉なのでしょうか。仕事、教育、創作、環境までが「AI時代」の名のもとに語り直されるいま、技術を進める前に問うべき“0番目の問い”を考えます。|by Erika Tomiyama
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「正直、そろそろAIの話に疲れてきた」
最近、そんな感覚を抱くことがあります。もちろん、AIが重要ではないと言いたいわけではありません。むしろ、これほど私たちの働き方や学び方、創作、政治、環境に影響を与えている技術について、議論を減らしてよいはずがありません。
けれども、AIについて語られる言葉の多くが、どこか同じ場所をぐるぐる回っているように感じることがあります。
どのモデルが優れているか。どんなプロンプトを書けばよいか。そうした実務的な話だけではありません。仕事、教育、創作、そして人間の本質までもが、「AI時代」という言葉のもとで語り直されていく。気づけば私たちは、世界のあらゆる出来事を、AIを中心に受け取り始めています。
エンジニアのジェイク・サンダース氏は、現在の状況を「木工コミュニティ」に例えてこう批判しました。「かつては人々が、自分のつくったテーブルや椅子を見せ合っていた場所で、いつの間にか全員が『どのハンマーを使っているか』ばかりを叫び合っているようだ」と。
道具について語ることは大切です。しかし、道具の話があまりに大きくなると、「何をつくるのか」「どんな未来を望むのか」が見えにくくなります。
私たちがAIについて話すことに疲れているのは、AIが重要ではないからではなく、AIそのものがあらゆる文脈で“重要である”と語られすぎているからなのかもしれません。
AIは本当に「文明の中心課題」なのか
この違和感に対して示唆を与えてくれるのが、Responsible AI(責任あるAI)研究者で、国連のAIに関するハイレベル諮問機関にも参加するバージニア・ディグナム氏による記事。教皇レオ14世によるAIに関する初の回勅『Magnifica Humanitas』をめぐる批評です。
「回勅」とは、教皇が時代の重大局面に際して発する、最も権威ある宣言のこと。このなかで、かつて教会が産業革命に際して労働者の尊厳を説いたように、AIを「現代文明の運命を左右する道徳的課題」として正式に位置づけたことは、世界的に大きな衝撃を与えました。
しかし、ディグナム氏はこの「権威ある認め方」にこそ、危うさがあると言います。AIを「人類最大の分岐点」としてあまりに神格化し、特別視しすぎてはいないか。その過剰なスポットライトが、今そこにある気候変動や貧困、格差といった、より差し迫った危機から私たちの目を逸らさせてはいないか、という指摘です。
さらに重要なのは、AIを「文明の不可避な運命」として語ることが、結果としてAI産業にとって都合よく働くという点です。AIが「避けられない未来」だと社会が受け止めるほど、議論は「開発を進めるかどうか」ではなく、「進むものをどう管理するか」という受動的なものに限定されていきます。さらに、「避けられないなら早く進めるべきだ」という前提のもとで、モデル開発やデータセンター建設、膨大な電力・水資源の利用も、未来のための必要な投資として語られやすくなる。つまり、技術そのものの方向性を選び直す余地が、議論のスタート地点で既に狭められているのです。
だからこそディグナム氏は、「そもそも、そのシステムは開発されるべきなのか」という“ゼロ番目の問い”が、今のAI議論に最も欠けていると指摘します。
私たちは、「どう使うか」「どう規制するか」という議論には熱心です。しかし、その前段階にある問い──「誰が、どのような委任のもと、何の目的で、この速度で開発を進めているのか」を問う権利を、私たちは手放してはいけません。
技術開発は、自然現象ではありません。誰かが資金を出し、誰かが設計し、誰かがデータを選び、誰かが社会に実装している意思決定の積み重ねです。ならば私たちには、「進める」だけでなく、「止める」「遅らせる」「あるいは別の形を選ぶ」という選択肢が、本来はあるはずなのです。
「便利なツール」と「望ましい社会」の間で
こうした「未来をあらかじめ決められている」ことへの閉塞感は、具体的な抵抗として現れ始めています。最近、アメリカの大学の卒業式で、登壇者がAIの導入や可能性を熱心に語った際、学生たちからブーイング(反AI)が起きたという出来事が相次いで報じられました。学生たちは、決して技術を知らないわけでも、食わず嫌いをしているわけでもないはずです。むしろ、AIがすでに学びや就職活動、創作の現場に入り込んでいることを肌で感じている世代だからこそ、「便利なツールであること」と「それが自分たちの生きる社会の前提になること」は別物だと感じているのではないでしょうか。
ここで注目したいのは、AIをさらに便利にするための研究ではなく、AIという主語に独占された未来を取り戻そうとするプロジェクトです。
世界中のAIに対する抵抗と代替実践を記録する公開データベース「The AI Resist List」は、こうした問題意識を可視化する試みです。彼らが記録しているのは、「AIをどう使うか」ではありません。ビッグテック主導のAI開発が、見えない場所で誰かの土地、労働、情報を搾取している構造そのものに対する「NO」の記録。彼らが示す「Possible Futures(ありうる未来)」は、AIをより賢くすることを目指すものではありません。ビッグテックに依存しない協同組合型の運営や、低環境負荷のコンピューティングなど、技術を巨大企業の独占から、自分たちのコミュニティの手に取り戻すための実践です。
また、非営利コミュニティAIxDESIGNが提唱する「Slow AI」という考え方も、AIをめぐる議論をスピードや性能競争から引き離すための重要な視点です。彼らが示すSmall AI(地域限定のAI)やAncestral AI(伝統的な知恵を継承するAI)は、AIを全知全能の存在に近づけるための道ではありません。むしろ、技術を万能な正解としてではなく、特定の地域の文化や、人間同士の固有の関係性のなかに置き直す試みだと言えるでしょう。
未来は、あらかじめ決まっている一本道ではありません。どの技術を進め、どこで立ち止まり、何を別の形で育てるのか。AIがあらゆる文脈を塗りつぶしてしまう前に、選択する力を社会の側に取り戻す。そうした「0番目の問い」を考えることからようやく、私たちの未来の話が始まるはずです。
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