「豊かになりすぎた」ノルウェーが抱える代償。繁栄の背後にあるものとは何か
by Megumi|高福祉・高所得のノルウェーでいま議論される「豊かさの代償」。停滞する経済と、グローバルサウスの資源に依存する構造。ノルウェーの事例は、豊かさを再定義する鏡となります。
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ノルウェー公務員労働組合の副会長が「国民のウェルビーイングを高めるため、今後勤務時間を減らすことを考えています」と発言した際、会場からはこう問いかけられたのです。
「働く時間を減らしたら、旅行に行くノルウェーの人が多くなりますよね。それでは、ますます忙しくなる休暇先のレストランで働く従業員のウェルビーイングはどうなるのでしょうか?」
一見理想的に見える「豊かさ」も、他国の人々の労働や環境負荷の上に成り立っている可能性がある。そんな事実を突きつけられる瞬間でした。
ノルウェーは、高い給与や短い労働時間、充実した福祉制度によって「世界で最も豊かな国」の一つとされてきました。けれども国内では、その足元に揺らぎがあるのではないかという議論が起きています。
元マッキンゼーのオスロ事務所元所長のマーティン・ベック・ホルター氏の著書『豊かになりすぎた国』を紹介する動画では、ノルウェーの石油・ガスに依存した経済が2013年以降停滞し、生産性や実質賃金が伸び悩んでいることが強調されていました。公共支出は拡大しているものの、医療や教育の成果は思うように上がらず、石油ファンドの存在により、国民の挑戦や起業の機運が弱まり、研究や産業の活力が落ちているという声も上がっています。こうした議論は、まさにノルウェーのような「安定した経済」の裏側にある課題を可視化しています。
また、オスロを拠点にITコンサルタントとして働きつつ、写真家・活動家としても社会問題に取り組むモフセン・アンヴァーリ氏による記事は、ノルウェーの「豊かさ」をグローバルな視点で問い直します。
経済学者のケイト・ラワース氏が提唱したドーナツ経済学の枠組みを使えば、ノルウェーが福祉や教育などを含む社会的基盤を満たす一方で、環境的限界を超えている姿が明らかになります。しかし、単にデータを示すだけでは権力構造や歴史的な不均衡には迫れません。ノルウェーが現在も力を入れている再生可能エネルギーが、ボリビアやコンゴの資源に依存していること、風力発電が先住民族サーミの土地を脅かしていること、平和国家を掲げつつ年金基金が軍需関連に投資していること。こうした現実は「サステナビリティを装った帝国的な構造」として記事の中で批判されました。
記事はまた、北と南の非対称性を強調します。グローバルノースの国々に求められるのは脱軍事化や気候債務の清算、グローバルサウスの国々に求められるのは主権的な工業化と抵抗。その過程で、ノルウェーが本気で変わろうとするなら社会のライフスタイルそのものまで変革が必要だ、と。
すでにグローバルノースの国々では、SDGsやESGといった指標を揃え、目標を謳ってきました。しかしそれで本当に化石燃料や軍需産業から離れられたのでしょうか。
今回このコラムでこうした議論を紹介したのは、ノルウェーという国を批判するためではありません。ノルウェーはあくまで一つの事例であり、環境問題も社会問題も国境を越えてつながっている以上、「豊かさ」もまた一国のGDPや生活水準だけでは測れないということを示しているのです。
今まで「豊か」とされてきた地域は本当に豊かなのか。逆に、「貧しい」と見なされてきた地域は本当に貧しいのか。その背後には、会ったこともない人々や、見たこともない自然の存在があるのではないか。ノルウェーの例は、そんな問いを私たち自身に突きつけています。
豊かさの再定義は、遠い北欧の話ではなく、私たちが足元を見直すための鏡です。次の世代に何を残すのか──その問いは、何を新しく得るかだけでなく、何を手放すのかという選択も含まれています。化石燃料依存や過剰消費に象徴される「成長」の陰を直視し、それをどう再解釈するか。いま私たちは、その課題のただ中に立たされているのです。
Featured image created with Midjourney (AI)
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