脱炭素、そしてサーキュラーエコノミーが気候変動対策として広がってきた中、次なる重要テーマとされているのが生物多様性です。特に近年は「ネイチャーポジティブ」という表現も多く聞かれるようになってきました。
ネイチャーポジティブとは、自然や生物多様性の損失に歯止めをかけるだけではなく、むしろそれらの指標を向上させていくことを意味します。例えば、生態系を傷つける土地開発の手法や素材の使用を止めるだけではなく、土壌がより豊かになる農法や土地利用に切り替えたり、生態系の回復を促進するような自然素材を採用したりすることが挙げられます。こうした回復に寄与する特性を「再生的（リジェネラティブ）」とも表現します。
こう聞くと、生態系に良いことをしていたらネイチャーポジティブ──と思いそうになりますが、果たしてそのポジティブとは、何を持ってしてポジティブと言えるのでしょうか。
たしかに、失われつつある動植物が守られ、その個体数が増えたらポジティブかもしれません。しかし、ポジティブの解釈については逃れようのない難しさも潜んでいます。生態系における事象について、人間へのメリットがあるかどうかで、評価が大きく変わってしまうためです。
こちらの記事でも紹介した例を見てみましょう。2024年、ダークチョコレートなどカカオを含む食品に、鉛やカドミウムなど人体に「有毒な」重金属が含まれていることが米国NGOの研究によって明らかになりました。一方で、こうした金属類を取り込む作用のある植物を、汚染された土壌に植えて浄化する手法・ファイトレメディエーションは、土壌を「再生」する方法としても認知されています。
チョコレートに重金属が入っていたら「有毒」、植物に入っていたら「再生」……このように、人間にとって利益があるかどうかによって、真逆の認識に至ることがあるのです。こうした状況で私たちは、生態系が回復しても、人間へのメリットがなければネイチャーポジティブではないと評価する、または、人間視点に偏った「ポジティブ」によって、結果的に生態系全体の損失を生むというリスクを持っています。
ネイチャーポジティブが、特定の誰かの指標を優先して測られる──それは人間同士の間でも起こりえます。環境課題への意識の高まりから都市の緑化が進んでいますが、緑化によって立ち退きを求められる人や、土地が高騰して居住地を変えざるを得ない人がいると指摘されているのです。
こうした現象は気候ジェントリフィケーションと呼ばれ、その緑地化が「誰にとって」豊かな環境をもたらすのかを考える必要があります。これは、生物多様性を回復する環境づくりとして緑地化が進むこともあり、ネイチャーポジティブの文脈にも大きく関わる問題です。
そのポジティブは、誰にとってのポジティブなのか。「人間にとって良いかどうか」という視点だけで評価してしまい、他の生態系の存在や役割を見落としている可能性はないか。そんな問いを、投げかけるべき社会フェーズに入っているかもしれません。
たしかに、これを議論するのが人間である以上、どうあがいても人間の主観を除くことはできません。それでも、地球を「唯一の株主」にしたパタゴニアの例などに倣い、人間の主観に偏らないための仕組みづくりは可能です。
その上で、人間視点という限界があることを自覚し、その自覚があることを言葉やデザインで伝えようとする実践が重要となるでしょう。
例えば、オランダの「DommelPolitics（ドメル川の政治）」というプロジェクトでは、ドメル川に暮らす生き物が出馬したらどんな政策を提案するかを言語化。実際に投票すると、投票先に応じてスクリーン上の川の映像に変化が起きます。生き物を一括りに扱うのではなく、一つひとつの種に光を当てることで、種の数だけ特有のニーズがあると理解していることを伝えられるでしょう。
ネイチャーポジティブが広がりつつあるがゆえのこうした課題。それが制限となるのではなく、「どうすればより多様ないのちと豊かな自然を共有できるだろう」と想像をめぐらせる入口となることを願います。
関連記事
人間以外の生物が、街をデザインしたら？植物やきのこの住処「Urban Reef」が都市環境を再生
都市を緑化するのは、人間それとも他の生き物でしょうか…？オランダのデザイナー二人組・Urban Reefは、「人間ではない」存在により都市が緑化される方法を見出し、生態系の一部を可視化しているのです。
微生物と共に社会をつくる？人間中心ではない「マルチスピーシーズ」の社会がもたらす喜びとは【多元世界をめぐる】
「マルチスピーシーズ」という言葉、聞いたことがありますか？「多種」を意味するこの言葉が今、人間中心のデザインから脱却する一助になるとして注目されているのです。愛媛大学のルプレヒト教授にお話を伺ってきました。
Pocast
ポッドキャスト
第68回「おいしい、のその先へ。“食の編集者たち”と考える都市と食」NEW!
「食を編集する」とは、背景にある価値観やストーリーを“つなぎなおす”こと。大阪・うめきたのPLAT UMEKITAで開かれたイベント「『おいしい』の編集者たち」には、メディアやデザインなど多分野の“編集者”が集結。都市で暮らす私たちが食とどう関われるか、その問いを探ります。
第67回「対立・紛争が起きる今、メディアは“建設的な議論”を生み出せるか」
近年、世界では紛争が起きたり、政治的対立が激しくなったりと、情勢の不安定さを示すような出来事が続いています。こうした情報を広く届ける役割を担うのが、メディアです。変動の多い時代に、情報の橋渡し役であるメディアは、どうあるべきなのか。紛争のように避けがちなテーマに対して、どのような発信の切り口が重要なのか。編集部がおこなった取材から紐解いていきます。
第66回「人気が高まる、オフラインカフェ。見過ごしてしまった景色と繋がりを取り戻す場所」
スマホやパソコンを使わない時間、どれくらい確保できていますか？デジタルとの距離を取ることが難しくなっている昨今、欧州では「オフラインカフェ」「オフライン・ゾーン」などに参加し、あえてデジタル機器の使用を禁止する場に身を置こうとする人が増えているようです。